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名古屋高等裁判所 昭和33年(う)788号 判決

被告人 花野三八雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することのできないときは、金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検察官所論の要旨は、原判決は、本件公訴事実である「被告人は自動車運転者であるが、昭和三二年九月一九日午後七時五分ごろ、普通自動車(愛五す一九二六号)を運転して名古屋市千種区覚王山通り九丁目一九番地市電軌道の敷設してある道路北側車道を東進し、同所丁字路を右折南進するため同所市電敷地を渡り南側車道に差蒐つた際、左(東)側車道の注視を怠り、前方約八米にある通行禁止の標示を認め、漫然車道上に停車したため、折柄時速約三五粁で西進して来た軽自動車乗りの小二又信明(当時二四年)を避けることができず、自己の運転する自動車左側前部を右軽自動車前車付近に衝突転倒せしめ、因つて同人に対し全治二ヵ月を要する右膝蓋骨々折等の傷害を与えたものである。」との事実につき、右公訴事実記載の日時、場所において、被告人の運転する前記自動車と小二又信明の操縦する前記軽自動車が衝突して、同人が前記のとおり傷害を受けたことを認めたうえ、本件事故につき被告人には刑事上の過失責任はないものとして無罪の言渡をしたのであるが、原判決には重大な事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄せらるべきものであるというにある。

まず、原判決が、前記公訴事実について、検察官所論のように、被告人の運転する前記普通自動車と小二又信明の操縦する前記軽自動車が衝突した事実および小二又信明がその際前記傷害を被つた事実を各認めながら、右事故について、被告人に刑事上の過失責任はないものとし、かえつて右事故は小二又信明の不注意によるものであるとして、被告人に無罪の言渡をしたものであることは、本件起訴状ならびに原審判決に徴して明らかである。

よつて、本件訴訟記録を精査し、原判決挙示の証拠、その他原審ならびに当審で取り調べた証拠を検討し、はたして原判決説示のように、被告人に本件事故発生の過失責任がないかどうかを調べてみることとする。

一、司法警察員作成の実況見分調書、原審ならびに当審各検証調書を総合するに、(一)本件事故現場たる名古屋市千種区覚王山通り九丁目一九番地先路上は、市電東山線(東方東山に至り、西方池下に至る。)の覚王山電車停留所安全地帯の西端から約一五米を距てた南側車道上にして、同車道と丁字路(三さ路)をなす小道路の入口付近であること、(二)現場道路の状況は、中央に幅員約五、四米の市電軌道が敷設せられ、その北側は幅員約五、六米の車道、それについで歩道となり、南側は幅員約六、七米の車道、それについで歩道となり、いずれも完全に舗装されており、前記のように覚王山電車停留所安全地帯の西端から約一五米西方の地点で南折すると、両側車道と丁字路をなす幅員約五米の砂利敷きの小道路に向うことができること、(三)現場を中心として観察すると、同所付近は、昼夜とも、市電、市バス、その他車馬の交通量は比較的多いように見受けられるが、東西約一〇〇米間は大体道路は平たんで、その間固定した障害物もなく見通しは良好であること、(四)現場付近には、特に街燈の設備はないが、道路両側に櫛比する商店などの電燈、または屋外に設けられた広告、ネオン燈などの照射により夜間比較的明るい箇所であることなどをそれぞれ認定することができる。

二、被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、小二又信明の検察官および司法巡査に対する各供述調書、前記司法警察員作成の実況見分調書、医師野村卯太郎作成の診断書、酒井賢一の検察官に対する供述調書、原審第六回公判調書中鑑定人近藤昊の供述記載、検察官の電話聴取書を綜合すれば、(一)被告人は、昭和三〇年四月一一日名古屋市公安委員会から普通自動車運転免許(第一七、三三三号)を受け、自家用車運転の業務に従事する者であるが、昭和三二年九月一九日午後七時すぎごろ、自家用車(愛五す一九二六号、トヨペツト五六年後期車、全長約四・二八五米)の助手席に某、後方客席に酒井賢一ほか二名を乗せ、これを運転して前記市電東山線に沿つて北側車道を東進し、前記覚王山電車停留所安全地帯の西端から約一五米西方の地点に差しかかつた際、前記丁字路内の料理店井勢寿に赴くため、司法警察員作成の実況見分調書添付図面(イ)点(以下符号だけを用う。)で、時速を五、六粁に減らして右(南)折し、市電軌道を横切り軌道南端から約一車身ほど南側車道に進出したところ(ロ)点で、前方丁字路、約八米の地点に通行止の標示板を認め、それとほとんど同時に南側車道の左(東)方約一〇米余の地点に時速約三五粁で西進してきた小二又信明の操縦する軽自動車の前照燈を認めたので、即時(ロ)点に停車し後退を開始しようとしたが、時すでに及ばず、右軽自動車はその前部をもつて被告人の運転する右自動車の左側前部に衝突、その場に転倒し、これによつて小二又信明は全治約二ヶ月を要する右膝蓋骨々折等の傷害を被つたこと、(二)小二又信明は、名古屋市中区東陽町九の一七地米穀商奥田商店の店員で、昭和二七年名古屋市公安委員会から自動三輪車運転免許を受けている者であるが、昭和三二年九月一九日午後五時ごろ同店の軽自動車(愛六五六一号)に乗り、東山方面の三河屋に集金に赴き、午後七時少し前ごろ同店を出て、前照燈をつけ時速三五粁ぐらいで市電東山線に沿つて南側車道を西進し、同七時すぎごろ前記覚王山電車停留所付近において、前方約七米の地点を被告人の運転する乗用車が車道を横切つて南の方へ通り抜けようとするのを認め、そのまま無事通れるものと判断したところ、前方約五米の地点で、右乗用車が急に停車したので、あわてて左にハンドルを切つたが及ばず、前記のように衝突、転倒、受傷したものであることをそれぞれ認めることができる。

以上認定の事実関係において、被告人の採つた右折開始から衝突事故発生までの処置に、はたして自動車運転者として遵守すべき注意義務に欠けるところはなかつたかどうかこの点に関する原判決の判断には首肯し難いものがある。

元来、自動車運転者のように、人の生命、身体に危険を及ぼすおそれのある業務に従事する者は、その業務の性質に照し、危害を防止するためその可能な限り適切妥当な一切の措置をとるべき注意義務を有することは、その注意義務が法令、行政上の取締法規等に明規されている場合はもちろん、これら法令等に明規せられなくても、条理社会通念などからみて当然とされる場合にもこれを認めなければならない。本件のような内容の事案はきわめてまれであつて、これらの場合に処すべき措置について明確な法令等の根拠は認められないが、自動車運転者の業務の性質、安全操縦義務(道路交通取締法八条)その他条理社会通念などから考え、かつ原審第六回公判調書中鑑定人近藤昊の供述記載を参酌のうえ本件を判断すると、次のようにみるのが相当である。すなわち、自動車運転者たるものは、(一)前記のように〈イ〉において右(南)折しようとする場合には、まず市電軌道上に進行中の電車のないことを確認する義務がある。(二)電車の進行中でないことを確認して軌道を横切り南側車道に進出せんとする場合には、軌道内に一旦停車するかまたは最徐行をして、左(東)方車道上および前方丁字路の方向を注視し、車道上を西進する車の有無を確かめ、もし進行中の車があるとすれば、その速力、距離などを勘案し、横断に危険ありと判断したときには、その車を優先通過せしめ、横断に危険なしと判断したときは、一面、進路前方丁字路にも障害物のないことを確認してから車道横断を開始すべき注意義務がある。(三)右注意義務を怠り、南側車道に進出したため(ロ)点において、はじめて前方約八米、丁字路〈ト〉点に通行止の標示板のあるのを認め、それとほとんど同時に左(東)方車道上約一〇米余の近距離〈ハ〉点に時速約二五粁で西進中の軽自動車を認めるという危険な状態に遭遇した場合には、右軽自動車、その他当然同所に近接を予想される他車との衝突を避けるため、臨機安全の措置として、その場に停車することなく急速力で右標示板の位置まで車を乗り入れ、(被告人の運転する自動車の全長は四・二八五米で(ロ)点における自動車前部から右標示板までの距離は約八米であるから右乗り入れは可能である。)車道を西進する車の進路をあけてその障害とならないような措置をとるべき注意義務があるものとみるのを相当とする。

しかるに被告人は、〈イ〉点で右(南)折を開始し、市電軌道上に進行中の電車のないことを確認して右軌道を横切つたことは正しいが右軌道から南側車道に進出するにあたり、前方ならびに左(東)側注視の注意義務を十分に尽したものとは認められない。なんとなれば、本件事故現場は、前記認定のように東西約一〇〇米間見通し可能で、途中視界をさえぎる障害もないのに、小二又信明が前照燈をつけて操縦する軽自動車を僅か一〇米余の近距離に接近するまで全然知らなかつた事実や、市電軌道の南端から一二、三米前方の通行止の標示板を発見し得なかつた事実、それ自体によつて明らかであるといわなければならない。また被告人が、右注意義務を怠り南側車道に進出したところ、(ロ)点において通行止の標示板を知り、それとほとんど同時に左(東)方約一〇米余の〈ハ〉点に小二又信明の操縦する軽自動車の接近を知るや、前記のように右標示板の箇所まで車を乗り入れる安全措置をとらず、(ロ)点において漫然急停車し、後退を開始しようとしたのは不注意の措置といわなければならない。従つて、被告人の前記右折開始から本件衝突事故発生までの措置は、少くとも右二個の過失が併存しており、これが原因となつて右事故の発生をみたものであるといわなければならないから、被告人は本件業務上過失傷害の責任を負担すべきである。

弁護人は、被告人が〈イ〉点において右折を開始せんとする瞬間、推定七四米東方にある小二又信明の操縦する軽自動車は、被告人の視界に入ることは不可能であつたというのであるが、現場の見通し状況が前記認定のとおりである以上、右所論は当らない。もし被告人が左(東)方注視の義務を十分に尽したならば、所論七四米先まで及ばずとも実際に認めた一〇米余よりはさらにはるか前方に右軽自動車の前照燈を確認し得たものと認むるべきである。

弁護人はさらに、仮に被告人が右注意義務を怠つたものとしても、被告人が停車した(ロ)点と南方人道の北側接近との空間は、幅員二、五米で、他車の通過は十分に可能であるから右不注意と本件事故発生の因果関係は中断されたものであるというのであるが、(ロ)点に停車したこと自体が、業務上の注意義務を怠つたものであることは、前記説示のとおりであるから、所論因果関係は中断されない。

弁護人はさらに、小二又信明は前記丁字路のあることを知らず時速三五粁を以つて西進したため、被告人が停車した(ロ)点と南方人道北側接近との空間、幅員二、五米の個所を通過し得ず、その操縦する軽自動車を被告人の自動車に衝突せしめたもので、その責任は専ら小二又信明の重過失によるものであるというのであるが、およそいかなる自動車運転者といえども、自己の進路前方を横断する車を認めた場合においては、その車が道路を横断しおわり、その後方を自己車が通過するものと予想するのは当然であつて、(小二又信明もまた同様に予想したことは前記認定のとおりである。)その車が自己の進路前方で、突然停車をするというような異例なことは予想し得るところではない。従つて被告人が停車した(ロ)点の前方に所論の空間があつたからといつて、必ずしも他車が無事同所を通過し得るものとは限らず、小二又信明のように操縦を誤り本件事故を起こし得ることは当然考え得るところであつて、この場合、同人に事故発生の過失責任が全部存するものとは断定できない。もとより小二又信明の方にも、前方注視の点や速力の点、その他適宜な安全運転の点において、業務上必要な注意義務を怠つたことは否定できず、この過失が本件事故発生の一因をなしたとも考えられるが、それがため前記認定の被告人の過失責任を左右するものではない。

以上説示のとおり、被告人に本件事故発生の過失責任が明らかであるのに、これを否定し被告人に対し無罪の判決を言渡した原判決は、けつきよく事実を誤認したものであつて、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならない。ゆえに論旨は理由がある。

よつて本件控訴はその理由があるので、刑事訴訟法三九七条、三八二条、四〇〇条但書により、原判決を破棄し当裁判所においてさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、名古屋市公安委員会から普通自動車運転免許を受け自家用車の運転業務に従事する者であるが、昭和三二年九月一九日午後七時すぎごろ、普通自動車(愛五す一九二六号、トヨペツト五六年後期車)の助手席に一名、後部客席に三名を乗せて、これを運転し、市電東山線に沿つて北側車道を東進し、名古屋市千種区覚王山通り九丁目一九番地先地点(覚王山電車停留所安全地帯の西端から約一五米西方)において、同所南側車道と丁字路をなす小道路内の料理店井勢寿に赴くため、右(南)折を開始し、市電軌道を横切り、ついで南側車道に進出これを横断せんとしたのであるが、かかる場合自動車運転者たる者は、右軌道内で一旦停車するか、または最徐行のうえ、(本件当時右軌道上に電車はなかつた。)右車道の左(東)方および前方丁字路の方を注視し、もし車道を西進中の車を認めたときは、その速力、距離などを考慮して、横断に危険があるかどうかを判断し、危険ありとすればその車を優先通過せしめ、危険なしと認めたときは、さらに前方丁字路に障害物のないことを確めたうえ、車道横断を開始すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、被告人はこれを怠り、漫然と車道に進出したため、市電軌道より約一車身ほど出たとき、はじめて前方約八米の丁字路の中央に通行止め標示板を発見し、それとほとんど同時に、左(東)方車道上約一〇米余の地点に、時速約三五粁で前照燈をつけて西進してきた小二又信明操縦の軽自動車を認めるという危険な状態を生ぜしめ、さらに自動車運転者たる者は、右のような危険な状態に遭遇した場合において、臨機の安全措置として、いささかも停車することなく直ちに速力を増して右車道を横断して前記丁字路の標示板の箇所まで車を乗り入れてその後方をあけ、車道を進行する他車の妨害とならないようにしなければならない業務上の注意義務があるのにかかわらず、被告人はこれを怠り、漫然と前記進出地点に急停車し後進しようとする誤つた手段に出たため、小二又信明をしてろうばいのあまり運転を誤らしめ、その軽自動車の前部を被告人の運転する自動車の左側前部に衝突、その場に転倒せしめ、よつて同人に対し、全治まで約二ヶ月を要する右膝蓋骨々折兼関節内血腫等の傷害を与えたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

法律に照すと、被告人の判示所為は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するから、所定刑中罰金刑を選択しその所定金額範囲内で被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することのできないときは、刑法第一八条一項により金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 影山正雄 坂本収二 水島亀松)

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